人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ルパン三世
ルパン三世_b0030720_43154.jpgルパン三世は、〈完璧主義者〉である。
けして〈ドジで女好きな三枚目〉などではなくて、
それを装った〈大天才〉である。
彼の悪魔的頭脳に騙されてはいけない。
もし彼がピンチに陥り苦しんでいても、たとえミスを犯して捕らえられてしまったとしても、その全ては〈演技〉であり、完璧に〈計算ずく〉なのだ。
そこを見誤っていてはいけない。

そんな天才は、〈退屈〉している。
我々凡人のように〈努力〉をして少しずつ〈成長〉をしたり、〈目標〉に向かい進んだりする喜びがない。
どんなことでも最初から簡単にできてしまうのだ。
だから人生というものに少し飽いている。
そこで退屈しのぎに、おじいちゃんのマネをして 〈怪盗〉を名乗って遊んでいるのだ。

どんな名画や宝石だろうと、もちろんお金なんてものには、さしたる興味はない。
それらを盗む〈プロセス〉だけを純粋に楽しんでいるのだ。
だからできるならば、そのお宝を盗み出すことが〈困難〉であればあるほどよい。
難攻不落な要塞のような警備を突破することが彼のお気に入りであり、それでも足らず〈犯行予告〉までしてさらに難易度を上げて、ゲームを楽しんでいる。

申し訳ないが、銭形警部など相手にもならない。
それでも凡人の中では彼は群を抜き優れており、気骨もあり正義感にも溢れた立派な警察官だ。
だから、お遊びである〈怪盗〉をするときにはライバル役をしてもらっている。
いつもあえてゆっくりと逃走したり、わざとらしく発見されたりしているのは自分でも少しあざといなと思いつつも、警部の執拗な追跡がないと寂しいのも事実だ。

峰不二子に対する演技は、さらにあざとく心苦しいときもある。
オーバーにくやしがるフリをしてみせるルパンの姿を真に受けて、見事に騙したつもりで「ごめんねルパン、今回はわたしの方が一枚上手だったわね」…などと彼女が喜んでいる姿は滑稽で哀しい。
だが、そんな愚かさが可愛らしくもある。
落とせない女などいないルパンにとって、どんなに追いかけても手に入れられない女…という設定自体がありえなくておもしろい。もし不二子の方から求めれば、逆にルパンは逃げてしまうのだが。
善悪の概念といったものに惑わされずに己の欲望だけを指針に突っ走れるという純粋さ、なにより手段を選ばないタフなハートが美しい。
もしも彼女がいなくなったとしたら、ルパンといえども大きな喪失感を感じるだろうし、おそらく不二子の代わりは他の誰にもできないであろう。
したがって、ルパンにとって不二子はやはり特別な存在である。

次元大介と石川五ヱ門。ルパンの右腕と左腕だ。
互いに認め合ったよき〈ライバル〉でもあり、命を預けられる大切な〈相棒〉だ。
彼ら2人と出逢えたことは、孤高の天才にとっての奇跡である。
自分と比べると全ての者が愚かで小さく見え、誰にも心を開くことのなかった孤独な魂が、ついに〈友人〉・〈仲間〉と呼べるような存在を得たのだ。対等の立場として会話ができるのも彼らだけだ。
そんな2人こそが、ルパンにとっての本当の宝であろう。

しかしながらルパンは、銭形や不二子はもちろんのこと、次元や五ヱ門に対してさえ自分の全てをさらけ出せているわけではない。
そもそもルパンは、自分の〈素顔〉を、彼らにすらまだ一度も見せてはいないのだ。
ドジなキャラを演じるための〈猿顔のマスク〉を、おそらく素顔だと信じているはずだ。
いや、次元だけは勘付いているのかもしれないが、次元の方からそのことを口にしたことはない。
マンガやアニメのファンたちも、あれが彼の素顔だと騙されている人が多いのではないだろうか?

稀代の天才であるルパンに憧れて彼の(素顔用マスクの)顔に変装したり、ルパンの名を騙ったりする者たちも多いようだ。
劣化コピーにすぎない偽者たちには当然、本物のような天才的頭脳もなければダンディズムもなく幼稚な三流悪党でしかない。
そんな〈偽ルパン〉を見分けるコツは色々あるが、例えば安っぽい〈赤いジャケット〉を着ているのは偽者の可能性が高いので要注意である。
ベンツSSKなどの高級クラシックカーを愛するルパンが、フィアットなどのスモールカーに乗っている可能性も低い。舌の肥えた彼がジャンクフードを食べることもほとんどないはずだ。
しかしながらそれは確率の問題であり、例外はもちろんあるだろう。
中央ヨーロッパのとある小国を舞台に彼が活躍したときには、ベンツではなくフィアット500を操り、張り込み時にはカップ麺を食べていたともいう。
変装と演技の達人である彼の正体を見破るのは大変であるが、〈ドジを装っている天才〉か否か、男も惚れるほどに〈カッコイイ〉かどうか、じっくりと見抜いていただきたいと思う。

ルパン三世_b0030720_432882.jpg誰にも真実の姿や心の内を見せることがなく、その言動の〈全てが演技〉である完璧主義者。
そんな彼は、凡人の我々が想像できないほどの〈孤独〉や〈虚無感〉を常に抱いているであろう。

しかし、ルパンはまだ人生に絶望してはいない。
つまらない世界を、少しでもおもしろくしてやろうと今日も企んでいる。
黴臭い金庫にずっと閉じ込められているお宝があるなら、そいつを風に当ててやろう。
どこかの小悪党が度の過ぎた悪さをしているなら、ちょっとからかってからお灸をすえてやろう。

次は何をして遊んでみるかな?
いくぜ、相棒! ゲームを始めるぜ。




# by seikiabe | 2007-08-03 08:27 | 雑記
オルガンの調べ
オルガンの調べ_b0030720_0463592.jpg
 誰にだって、けして忘れられない大切な瞬間や景色というのが、きっとあるはずだ。
 胸の奥に鮮明に焼き付き、いつまでもずっと色褪せない場面。
 目を閉じればすぐに思い起こせる〈心の故郷〉とでも呼ぶべき映像があるだろう。
 〈現在〉に疲れたり〈未来〉に怯えたりした時、魂を癒すために還る場所。
 わたしにとってのそこは、〈幼稚園〉だ。
 わたしがわたしであるための核を作り育んでくれた場所。
 あの時代がなければ、わたしはきっと今のわたしではない。
 だから、わたしの心の故郷はあの幼稚園だ。
 
 なかでも強く印象に残っている場面は、初めてそこを訪れたときのものだ。
 太陽がとても眩しかったイメージがあるので、たぶん夏のよく晴れた日だったと思う。
 サファイア色に輝く空のあちらこちらに寝そべるコットンホワイトの雲。
 そしてその建物は、きれいなライム色だった。
 母に手を引かれたわたしは、その場所を一目見ただけでなぜか胸が弾んだのを覚えている。
 
 母と2人の新しい生活を始めるために移り住んだ海辺の町。
 ひどく臆病で人見知りだったわたしは、見知らぬ場所での暮らしが始まることに怯えていた。
 引越しをするのをとても嫌がって、移ってきた後もずっと黙り込んでいたり、急に泣き叫んだりすることもある不安で辛い日々が続いていた。
「あの人が変に甘やかせたから、わがままになっちゃって、もう」
 母はよくそう言ってため息をもらしていた。
 互いに激しく罵倒しあって別れた両親。人と人とが愛し合うことのすばらしさを教えてもらうことができないでいたわたしは、心に硬く重い鎧を纏うようになっていた。

 ゆるやかな丘を登った先にあるその幼稚園は、お世辞にも立派とは呼べないけれどとても素朴な温かみがあって、わたしはその場所を一瞬で大好きになってしまった。
 建物のすぐ脇には、わたしがこれまでに見たこともないような大きくて立派な樹が枝を思いっきり広げていて、その木漏れ日がきらきらと笑っていた。
 優しい緑色の扉の前には、少し錆びた赤いゲート。
 扉の向こうから、オルガンの音色がこぼれている。
 かすかに聴こえるその柔らかなメロディーは、すーっとわたしの胸の奥の方まで染み入ってきて、砂のように乾ききっていた魂をゆっくりと潤し始めた。
 オルガンの調べに、子供たちの歌声が重なる。
 ありふれた童謡で歌も演奏も拙かったはずなのに、わたしはその音色に激しく胸を揺さぶられた。
 心のどこかでずっと求め続け、それでもどうしても手に入れられなかったものを突然、手渡されたような感じだろうか。あまりにも嬉しすぎて戸惑ってしまう。
 気持ちが、溢れた。 
 そして気が付くと、わたしの頬は濡れていた‥‥。
「なにしてるの! 行くわよ」
 母に強く手を引かれて、わたしは目をこすりながらそれに従った。

 扉を開けて入ると、オルガンの音がようやくはっきりと聴こえた。
 初めて耳にするはずなのに、なぜか懐かしさで胸がいっぱいになる。
 やがてわたしたちに気付いて演奏は止まり、女の人が微笑んで立ち上がった。
 母がその人に、わたしを入園させたいのだと告げると、彼女は笑顔で大きくうなずいた。
「そうですか、大歓迎しますよ。わたくしはベアトリックス・ギュンターと申します。それでは、そこで少しだけ待っていただけますか」 

 女の人は、園長と思われる男の人を連れて戻ってきた。
 園長はとても背の高い人だった。
 彼は母と握手を交わし、さらにわたしの前にもしゃがんで手を差し出す。
 わたしはとまどいながらも、その大きな手を握り返した。とても温かかった。
 ひどい人見知りなわたしだったのに不思議とぜんぜん怖さは感じないで、その人の満面の笑顔につられて思わず微笑んでいた。
「はじめまして、マーク・ギュンターです。お嬢ちゃんのお名前は?」
「ケイ‥ティー‥‥」
「ホープ・ガーデンへようこそ、ケイティー! ここはもうきみの家だと思っていいんだよ。さあおいで、きみの兄弟たちを紹介しよう」

 子供たちは全部で7人いた。体格や顔つきも、髪や目の色もさまざまだ。
 二ック、リタ、バーニー、ファーレン‥‥やがて私の大親友になる子供たちだった。
「ねー、もっと、お歌しよーよ!」
 そんなマイペースなジャネットに他の子も続いて、たちまち自己紹介どころでなくなってしまう。
「そうね。じゃあ、ケイティーも一緒に歌おう!」
 女の人がオルガンの前に座ってその指が動き出した途端、再びあの不思議な音色が踊り始めてわたしを素敵な色で包み込む。
 まるっきり魔法だった。
 かなり古ぼけてはいるが、ありふれたオルガンのようにみえる。
 しかし、そこから流れ出す音は特別だった。
 その響きはまるで命を持った風のようでもあり、とても温かい光のようだった。希望というイメージを旋律が伝えて、生きる喜びを和音が謳いあげる。世界もわたしも甘いピンク色に染まってしまったような気分だった。
 そんな心地良い波に揺られていると、急にわき腹を突かれて我に返る。
「ほら、おまえも歌えよ!」
 わたしよりも背は低いのに、とても生意気そうな丸い目をした男の子だった。
 わたしはくやしくてその子をにらんだが、彼はにっこりと微笑む。
「この歌、知らないの?」
「知ってる‥けど‥‥」
「じゃ、歌お! ほら!」
 人前で歌ったことなどなかったわたしだったが、勢いにつられて歌い始めた。
 隣りの男の子が白い歯と立てた親指を見せる。それから何百回となく目にし、その度にわたしをいつも勇気付けてくれたニックのお得意のポーズだった。
 みんな、本当に楽しそうに歌っている。
 最初はささやくようだったわたしの声も次第に大きくなっていき、やがて気がつくとわたしはみんなと一緒になって大合唱していた。
 とてつもなく気持ちがよかった。
 その瞬間、これまでずっとずっとわたしを覆っていた固い殻が砕けて全部剥がれ落ちて、初めて世界の温度を肌で感じたような気がした。
 その時の感動は生涯忘れられない。

 これまでの30年近くの人生で、わたしは数多くの人たちと出会って、さまざまな経験をしてきた。しかし、人として本当に大切なことのほとんどは、あの幼稚園時代に学んだ気がする。
 まるで実の娘として以上にわたしを強く愛してくれたギュンター夫妻。時に厳しくもあり果てしなく優しかったマークとベティー。 
 人生の真実を教えてくれた、真っ直ぐな人たち。その純粋な魂。深い愛情。
 彼らには、どれだけ感謝しようとまるで足りない。


 そして今日、わたしは久しぶりにまた、このライム色の扉の前に立っている。
 白いドレスに包まれたわたしの手を引くのは、マーク園長だ。
 彼の影響もあって特定の神を信じていないわたしは、式を挙げるにはここしかないと思っていて、園長もそれを快諾してくれた。神などにではなく、友人たちに、自分自身の心に誓えばいいのだと言ってもらった。
「きれいだよ、ケイティー。本当におめでとう」
 髪こそ少し薄くなったもののまだ背筋の伸びた姿。その変わらない優しい横顔を見つめるだけで胸がいっぱいになる。
「さあ行こう。みんながお待ちかねだよ」

 園長の年輪を刻んだ手が、緑の扉を開く。
 その瞬間、弾けるような拍手とたくさんの笑顔がわたしたちを迎えた。
 オルガンの響きは、祝福の歌を高らかに歌い上げている。
 魔法はすっかり健在だ。
 その柔らかい音色とみんなの暖かい言葉に包まれると、溢れるような喜びが心の中をいっぱいに充たしていく。それはガスのようにわたしの中に詰まって膨らんで、体まで宙に浮かび上がりそうになってしまう。
 
 ベティーさんもお元気そうで本当によかった。
 お祝いに駆けつけてくれた、多くの友人たち。
 そして懐かしい兄弟たちの間を抜け、ゆっくりと歩いていく。
 みんな、ありがとう。
 女手だけでわたしを今日まで懸命に育ててくれた母。その涙まじりの顔にそっと手を合わせる。
 ありがとう。
 わたしの手を引いて進む、わたしに愛と真実を教えてくれた恩人。
 ありがとう。
 そして、わたしを待ってくれている愛する人。
 ありがとう。

 すべての人に、心から‥‥ありがとう。
 生きてきて、生まれてきて、よかったよ。
 
 これからの人生を伴に歩む愛する人のもとへと、わたしは歩いていく。
 オルガンの調べとみんなの笑顔が、世界を黄金色に染め上げている。
 きっと今日のこの景色も、わたしの心に鮮やかに焼き付くだろう‥‥。


                                              〈Kindergurden〉



# by seikiabe | 2007-06-27 01:44 | ショートショート
おひさしぶりでございますm(_ _)m
おひさしぶりでございますm(_ _)m_b0030720_557368.jpg
このブログを放置状態にしてしまってからずいぶんと経ってしまいました。それなのに、いまだにここを訪れて下さる方がいてくださいます。
まことにありがたく、たいへん申し訳ないです。

あれから色々なこともあり、現在は笑顔を失ったような日々を過ごしている状況です。
けれど、前を向き、ゆっくりと歩いていきたいと思います。

のろのろとした更新になるでしょうが、できればまたここで記事を書いていきたいです。
今更ともお思いでしょうが、どうかよろしくお願いします。


# by seikiabe | 2005-12-12 06:39 | 雑記
今日のリラックマ占い(2/26)
今日のリラックマ占い(2/26)_b0030720_16512326.jpg



「 今ちょっといなくなっていただけです 」







やっぱり、ブログやってる時間がありませんです。ごめんなさ~い。
まもなく戻って参ります! コメントもその時にさせていただきます。



# by seikiabe | 2005-02-26 16:54 | リラックマ占い
生きる力
人はときどき、自分がたった独りぼっちでいるような気になります。
〔人生には価値がない〕、〔生きることに意味などない〕などと考えてしまうことがあります。
平凡で退屈な毎日に飽き、それなのに次々と襲い来る苦悩の連続に疲れ果てて、やがて
激しい自己嫌悪に陥って、すべてを投げ出したくなる時もあります。
けれどそれは、あなたの心が少しばかり疲れすぎて、見失っているせいなのです。
目を閉じて、ゆっくり深呼吸しましょう。
あなたのことを愛してくれている家族や友人たちのことを思い出してみてください。
そして、あなたのその肉体と魂の内には、強く揺るぎない〈生きる力〉がまるで溢れんばかりに
詰まっていることを、どうか忘れないでください。
あなたは、あなたであるだけですばらしい。
生きる価値のない人なんて、1人もいません。意味のない人生なんてないのです。
あなたがいてくれることで、喜び・助けられている人たちがいます。
生き続けていくことだけで、あなたは充分に成し遂げているのです。
世界はあなたに無関心ではないし、まして敵ではありません。
すべての〈命〉は、あらゆる〈人生〉は、重なり合い・つながり合っているのです。
だから、その〈つながり〉を絶つことなど、けしてできないのです。
僕も生きます、どんなに不様でも! みなさんも生き抜きましょうね!!

え~、それでは今日は、こんな僕の言葉なんかよりも、もっとずーっと深くて説得力を持った
〈心の糧〉となるような本を、いくつかご紹介させていただきたいと思いま~す。



まず最初にご紹介するのは、『天国の五人』です。
世界的・超ベストセラーのノンフィクション・『モリー先生との火曜日』の著者である、ミッチ・アルボムが書いた小説で、この作品もすでに全米で550万部を超えるというメガ・ヒットになっています。
これはエディーという、ある平凡な男の物語です。
彼はその生涯を、海の近くの小さな遊園地の〈メンテナンス〉として過ごします。とはいえ、けしてなりたくてなった仕事ではありません。
戦争の傷で片脚が動かないのもあり、父親が死んだ時にその後釜を継ぐ形になって、抜け出したいと思いながらもそれもできぬまま、ずっと油塗れで整備を行ってきました。
最愛の妻もずっと以前になくし、子供もいません。

そんな彼の人生は、担当するアトラクションの事故という、予期せぬ形で突然の終局を迎えます。
そして、この物語は、そこから始まるのです。
気付けばエディーは、不思議な場所に立っていました。どうやら、そこは〈天国〉らしいのです。
そして彼は、これからこの場所で、5人の人物と出逢うことになります。
彼らは、エディーにある重大なことを教えるために、ここでずっと彼を待っていたのです。
5人の話を聞くことで、エディーはじつに退屈だとばかり思っていた自分の人生の別の側面を知り、そして初めて、自分が生きてきた〈価値〉や〈意味〉に気が付くこととなるのです。
その人物たちが誰であるのかは、秘密にしておきましょう。
5人によって語られる、エディー自身も知らない彼の人生の物語は、非常に興味深いものでした。教訓を含んだ寓話としてもすばらしいし、5つの短編と捉えても、それぞれに魅力的な物語です。
何度も胸が熱くなりました。そして、5人目との邂逅を済ませたエディーが知った〈人生の真実〉を
伝えるラストシーンには、涙が溢れ出しました。
帯のコピーの通りに「ムダな人生なんて、ひとつもない」ということが、心の奥に刻み込まれました。
〈天国〉の存在は信じない僕ですが、こんな〈天国〉なら行ってみたいかもですね。
〈魂への贈り物〉という言葉がまさに相応しい、大感動の物語です。



つづきまして、『生きている ただそれだけで 美しい』です。
アウグスト・クリというブラジルの精神科医の方が書かれた本で、
ラテンアメリカを中心に大ベストセラーとなったメッセージ本です。
この本を読み自殺を思いとどまった…という声も殺到したそうです。
誰にでも伝わるシンプルな言葉でひたすらに綴られているのは、
生命への賛歌です。生きることのすばらしさです。
そして、この本を読んだ人は、あるとても重要なことを思い出します。
それは、我々ひとりひとりが〈歴史上最大の闘い〉の勝者である!
…という真実です。
あなたが今、こうやって生きていること自体が、いったいどれほどの奇跡的な成功のもとにあるか。そのことを忘れてはいませんか?
我々の誰もが、オリンピックで金メダルをとるよりも、エベレストの登頂を成し遂げるのよりも、さらにずっと困難なことを、すでにやってのけているのですよ。
それは、あなたが〈生まれた〉ということです。
競争率がじつに4000万分の1という、過酷で熾烈なレースの表彰台を力で勝ち取ったものにしか、この世界を見るチャンスは与えられなかったのですから。
すべての人はみんな、途方もない厳しい試練に打ち勝ち、群がりくるライバルたちをぶっちぎって、その結果として〈生〉という輝かしい勝利を獲得しているのです。
1人の〈生〉の栄光の影には必ず、4000万もの敗者たちがいます。
我々は、そのたった1人の、誇りある〈勝者〉であることを忘れてはいけません。
自分自身の強靭な〈生き抜く力〉、己の貪欲な〈生への執着〉をみくびってはならないのです。
あなたは、すでに〈勝者〉なのです。


つづきまして、『人はどうして死にたがるのか』です。
心理療法カウンセラーの下園壮太という方の本です。
こちらは逆に、なぜ人は〈生きる力〉を失ってしまって、〈自殺〉という最悪の道を選んでしまうか?…ということについて書かれています。
そういった心理を、論理的に、明解に説明してあります。
ときどき自殺を考えてしまう人も、そうでない人にも必読の書です。
内容を簡単にだけ言いますと、我々の遺伝子の中に組み込まれた「感情のプログラム」が、ときとして〈誤作動〉を起こすことによって、「絶望のプログラム」が発動してしまった場合に、人は〈死〉を選んでしまうというのですね。
本来は〈生きる力〉を強めるための「プログラム」が、皮肉にも結果的には、人を〈殺す〉ことになってしまうのです。
原始の時代から我々の中に宿った「感情のプログラム」は、危機的状況の中でも〈生き残る確率〉を高めるために、プログラミングされています。
しかし人類は、ほんのわずかばかりの間に、急激に生活環境を変化させてしまっています。
だから現代社会においては、その原始的な「プログラム」は、まったく対応できていないどころか、反対にその〈誤作動〉によって、〈生きる力〉を奪ってしまう形で作用することが多くなっています。
それが「うつ」というものであり、そのために人は〈死にたがる心〉を持ってしまうというのです。
そういったメカニズムについて、とても詳しく・解りやすく説明してあります。
さらにこの本では、「どうすれば〈誤作動〉を防げるか」についても書かれてあり、〈うつ〉になった人がどうやって回復していけばよいかも、丁寧に解説してあります。
精神論ばかりではなく、こうした科学的・論理的な知識を得ることは、必ずためになると思います。
なので、未読の方はぜひ読んでみてくださいませ。


そして続編の、『愛する人を失うと どうして死にたくなるのか』です。
こちらの本は、人の〈死にたくなる心理〉の中でも大きな要因となる「大切な家族や恋人や友人を失った場合」について特化し、さらに
詳しく書かれています。
「愛する人の死」に直面した人は、その大きな喪失感を埋めるすべを見つけられずに、どうしてもそれを受け容れることができなかったり、また自分自身を激しく責め立てたりすることで、いつしか自らも〈死〉を望んでしまう。そういった心理について解説してあります。
これもやはり同じく、〈誤作動〉によって〈間違ったプログラム〉が発動してしまったことによるものなのです。
強い衝撃をきっかけに、〈うつ〉の状態になってしまっているのです。
愛が深ければ深いほど、またその哀しみも深く、自覚はないままに「絶望のプログラム」を発動させてしまっているのですね。
「愛する人を失う」という悲劇は、誰もが遭遇し、そして乗り越えなければならない試練です。
そこで、「絶望のプログラム」を発動させないために、たとえ発動しても止められるように、このことを
知識として得ていることは重要だと思います。
「時が癒してくれる」ということももちろんですが、自分が〈うつ〉であることを認識して対処することも有効のはずです。
この本では、愛する〈家族〉・〈恋人〉・〈友人〉、さらには〈ペット〉を失ったそれぞれの場合について、そして失った相手が〈自殺〉だった場合についても、個別にその対処法が書かれています。
愛する人を失った〈直後〉・〈半年後〉・〈数年後〉といったようにも章が分けられ、それぞれの時期の人がどういう悩みを抱え、どうすればその苦しみから救われるかが、懇切丁寧に綴られています。
あなた自身が今まさにそういった状況にある人も、現在はそうではないという人も、読んでまったく損はないと思います。もし見かけた方は、手に取ってみてくださいませ。


生きるのに疲れ果てている方、道を見失いそうになっている方、そして人生の真実を知りたい方。
もし今回ご紹介した本がお役に立てれば、とても光栄です。
最後にもう一度だけ。かけがえのないあなたを、愛し、大切にしてあげてください。
生き抜きましょう! 僕も生きます!!



# by seikiabe | 2005-02-26 00:00 | レビュー