カテゴリ:ショートショート( 4 )
オルガンの調べ
b0030720_0463592.jpg
 誰にだって、けして忘れられない大切な瞬間や景色というのが、きっとあるはずだ。
 胸の奥に鮮明に焼き付き、いつまでもずっと色褪せない場面。
 目を閉じればすぐに思い起こせる〈心の故郷〉とでも呼ぶべき映像があるだろう。
 〈現在〉に疲れたり〈未来〉に怯えたりした時、魂を癒すために還る場所。
 わたしにとってのそこは、〈幼稚園〉だ。
 わたしがわたしであるための核を作り育んでくれた場所。
 あの時代がなければ、わたしはきっと今のわたしではない。
 だから、わたしの心の故郷はあの幼稚園だ。
 
 なかでも強く印象に残っている場面は、初めてそこを訪れたときのものだ。
 太陽がとても眩しかったイメージがあるので、たぶん夏のよく晴れた日だったと思う。
 サファイア色に輝く空のあちらこちらに寝そべるコットンホワイトの雲。
 そしてその建物は、きれいなライム色だった。
 母に手を引かれたわたしは、その場所を一目見ただけでなぜか胸が弾んだのを覚えている。
 
 母と2人の新しい生活を始めるために移り住んだ海辺の町。
 ひどく臆病で人見知りだったわたしは、見知らぬ場所での暮らしが始まることに怯えていた。
 引越しをするのをとても嫌がって、移ってきた後もずっと黙り込んでいたり、急に泣き叫んだりすることもある不安で辛い日々が続いていた。
「あの人が変に甘やかせたから、わがままになっちゃって、もう」
 母はよくそう言ってため息をもらしていた。
 互いに激しく罵倒しあって別れた両親。人と人とが愛し合うことのすばらしさを教えてもらうことができないでいたわたしは、心に硬く重い鎧を纏うようになっていた。

 ゆるやかな丘を登った先にあるその幼稚園は、お世辞にも立派とは呼べないけれどとても素朴な温かみがあって、わたしはその場所を一瞬で大好きになってしまった。
 建物のすぐ脇には、わたしがこれまでに見たこともないような大きくて立派な樹が枝を思いっきり広げていて、その木漏れ日がきらきらと笑っていた。
 優しい緑色の扉の前には、少し錆びた赤いゲート。
 扉の向こうから、オルガンの音色がこぼれている。
 かすかに聴こえるその柔らかなメロディーは、すーっとわたしの胸の奥の方まで染み入ってきて、砂のように乾ききっていた魂をゆっくりと潤し始めた。
 オルガンの調べに、子供たちの歌声が重なる。
 ありふれた童謡で歌も演奏も拙かったはずなのに、わたしはその音色に激しく胸を揺さぶられた。
 心のどこかでずっと求め続け、それでもどうしても手に入れられなかったものを突然、手渡されたような感じだろうか。あまりにも嬉しすぎて戸惑ってしまう。
 気持ちが、溢れた。 
 そして気が付くと、わたしの頬は濡れていた‥‥。
「なにしてるの! 行くわよ」
 母に強く手を引かれて、わたしは目をこすりながらそれに従った。

 扉を開けて入ると、オルガンの音がようやくはっきりと聴こえた。
 初めて耳にするはずなのに、なぜか懐かしさで胸がいっぱいになる。
 やがてわたしたちに気付いて演奏は止まり、女の人が微笑んで立ち上がった。
 母がその人に、わたしを入園させたいのだと告げると、彼女は笑顔で大きくうなずいた。
「そうですか、大歓迎しますよ。わたくしはベアトリックス・ギュンターと申します。それでは、そこで少しだけ待っていただけますか」 

 女の人は、園長と思われる男の人を連れて戻ってきた。
 園長はとても背の高い人だった。
 彼は母と握手を交わし、さらにわたしの前にもしゃがんで手を差し出す。
 わたしはとまどいながらも、その大きな手を握り返した。とても温かかった。
 ひどい人見知りなわたしだったのに不思議とぜんぜん怖さは感じないで、その人の満面の笑顔につられて思わず微笑んでいた。
「はじめまして、マーク・ギュンターです。お嬢ちゃんのお名前は?」
「ケイ‥ティー‥‥」
「ホープ・ガーデンへようこそ、ケイティー! ここはもうきみの家だと思っていいんだよ。さあおいで、きみの兄弟たちを紹介しよう」

 子供たちは全部で7人いた。体格や顔つきも、髪や目の色もさまざまだ。
 二ック、リタ、バーニー、ファーレン‥‥やがて私の大親友になる子供たちだった。
「ねー、もっと、お歌しよーよ!」
 そんなマイペースなジャネットに他の子も続いて、たちまち自己紹介どころでなくなってしまう。
「そうね。じゃあ、ケイティーも一緒に歌おう!」
 女の人がオルガンの前に座ってその指が動き出した途端、再びあの不思議な音色が踊り始めてわたしを素敵な色で包み込む。
 まるっきり魔法だった。
 かなり古ぼけてはいるが、ありふれたオルガンのようにみえる。
 しかし、そこから流れ出す音は特別だった。
 その響きはまるで命を持った風のようでもあり、とても温かい光のようだった。希望というイメージを旋律が伝えて、生きる喜びを和音が謳いあげる。世界もわたしも甘いピンク色に染まってしまったような気分だった。
 そんな心地良い波に揺られていると、急にわき腹を突かれて我に返る。
「ほら、おまえも歌えよ!」
 わたしよりも背は低いのに、とても生意気そうな丸い目をした男の子だった。
 わたしはくやしくてその子をにらんだが、彼はにっこりと微笑む。
「この歌、知らないの?」
「知ってる‥けど‥‥」
「じゃ、歌お! ほら!」
 人前で歌ったことなどなかったわたしだったが、勢いにつられて歌い始めた。
 隣りの男の子が白い歯と立てた親指を見せる。それから何百回となく目にし、その度にわたしをいつも勇気付けてくれたニックのお得意のポーズだった。
 みんな、本当に楽しそうに歌っている。
 最初はささやくようだったわたしの声も次第に大きくなっていき、やがて気がつくとわたしはみんなと一緒になって大合唱していた。
 とてつもなく気持ちがよかった。
 その瞬間、これまでずっとずっとわたしを覆っていた固い殻が砕けて全部剥がれ落ちて、初めて世界の温度を肌で感じたような気がした。
 その時の感動は生涯忘れられない。

 これまでの30年近くの人生で、わたしは数多くの人たちと出会って、さまざまな経験をしてきた。しかし、人として本当に大切なことのほとんどは、あの幼稚園時代に学んだ気がする。
 まるで実の娘として以上にわたしを強く愛してくれたギュンター夫妻。時に厳しくもあり果てしなく優しかったマークとベティー。 
 人生の真実を教えてくれた、真っ直ぐな人たち。その純粋な魂。深い愛情。
 彼らには、どれだけ感謝しようとまるで足りない。


 そして今日、わたしは久しぶりにまた、このライム色の扉の前に立っている。
 白いドレスに包まれたわたしの手を引くのは、マーク園長だ。
 彼の影響もあって特定の神を信じていないわたしは、式を挙げるにはここしかないと思っていて、園長もそれを快諾してくれた。神などにではなく、友人たちに、自分自身の心に誓えばいいのだと言ってもらった。
「きれいだよ、ケイティー。本当におめでとう」
 髪こそ少し薄くなったもののまだ背筋の伸びた姿。その変わらない優しい横顔を見つめるだけで胸がいっぱいになる。
「さあ行こう。みんながお待ちかねだよ」

 園長の年輪を刻んだ手が、緑の扉を開く。
 その瞬間、弾けるような拍手とたくさんの笑顔がわたしたちを迎えた。
 オルガンの響きは、祝福の歌を高らかに歌い上げている。
 魔法はすっかり健在だ。
 その柔らかい音色とみんなの暖かい言葉に包まれると、溢れるような喜びが心の中をいっぱいに充たしていく。それはガスのようにわたしの中に詰まって膨らんで、体まで宙に浮かび上がりそうになってしまう。
 
 ベティーさんもお元気そうで本当によかった。
 お祝いに駆けつけてくれた、多くの友人たち。
 そして懐かしい兄弟たちの間を抜け、ゆっくりと歩いていく。
 みんな、ありがとう。
 女手だけでわたしを今日まで懸命に育ててくれた母。その涙まじりの顔にそっと手を合わせる。
 ありがとう。
 わたしの手を引いて進む、わたしに愛と真実を教えてくれた恩人。
 ありがとう。
 そして、わたしを待ってくれている愛する人。
 ありがとう。

 すべての人に、心から‥‥ありがとう。
 生きてきて、生まれてきて、よかったよ。
 
 これからの人生を伴に歩む愛する人のもとへと、わたしは歩いていく。
 オルガンの調べとみんなの笑顔が、世界を黄金色に染め上げている。
 きっと今日のこの景色も、わたしの心に鮮やかに焼き付くだろう‥‥。


                                              〈Kindergurden〉



[PR]
by seikiabe | 2007-06-27 01:44 | ショートショート | Comments(1)
ミス・リディア、愛を語る
ミス・リディア、愛を語る



また1つ、年を取ってしまった朝。今日もわたしは独りきり。
いえ、正確には1人と1羽…かしら。心の友達、ピッキーがいてくれるから。
「おはよう!」  ピッキー、きみは今日も元気そうね。毛のツヤもとてもいいみたい。
わたしは、すっかりおばさんになってしまったわ。今日またさらに磨きがかかったし。
でも、周りが思うほど不幸じゃないのよ。淋しくもない。ピッキーだっているしね。
結婚なんてどうだっていいわ。大切なのは〈愛〉だから。
それは持ってるもの。

‥‥愛してるわ、あなた。

わたしの半分はあなたへの愛で出来ている。残りはあなたとの想い出。
あなたを失ってからの時間が、生きてきた年月の半分より多くなってしまったけれど、
わたしは今日も、そしてこれからもずっと、ただあなたへの愛だけで生きていけるわ。

あなたを失った日のことは、けして忘れられない。
あなたが死んだとき、わたしの心も一緒に死んでしまったから。
残された肉体には哀しみだけが詰まっていて、まったく身動きもとれないほどだった。
涙を流すこともできず、半狂乱のような数日を送ったあと、少しは冷静になった頭で
考えられたのは、「死にたい」…ということだけだった。
あなたのいない世界で生き続けることなんかに、意味があるはずなどなかったもの。

それからの日々は地獄だったわ。
心は死んでしまっていても、肉体としては生きていかなくてはならなかったから。
ときおり、あなたの幻に突然会ったわ。とても鮮明で、香りまでするほどの幻影。
そのたびにまた深い哀しみに胸をえぐられて、心の血が溢れて止まらなくなった。
そんな辛く哀しい日々に耐えられず、早くあなたのところに行きたいと願っていた。

そんなあるとき、あなたの幻が私にこう話しかけてくれた。
「僕の愛するリディア、もう哀しまないで。僕はずっとずっと君のそばにいるから。
 間違っても死のうだなんて思わないで。君には僕の分まで生きてほしいんだよ」

その言葉でわたしもようやく気が付いたの。
わたしが死んだら、あなたがどれほど哀しむだろう…てこと。
だから誓ったのよ。たとえどんなに辛くても、あなたの分までも生きていこう!…と。
わたしは、あなたを愛し続けるために、今日も生きているわ‥‥。

b0030720_346399.gif

昼下がりはいつも、近くの公園で過ごすのが日課になっている。
ここには大きな池があって、その美しい水面の揺らぎを眺めてると心が安らぐの。
ピッキーも、この場所ががとっても好きみたいね。

2羽の水鳥が、仲睦まじく泳いでいる。ボートの上で愛を語り合う恋人たちもいる。
わたしたちも、あんな風に寄り添いたいな…て思うときはあるわ。
でもそれは望みすぎというもの。わたしたちの愛は、彼らより遥かに深かったもの。
だから、うらやましくなんてないわ。わたしは、この愛に強い誇りをもっているから。

〈真実の愛〉を知ることなく一生を終える方が、ずっと多いと思う。
誰かが、恋愛に悩んだり苦しんだりするのを見るたびに、そう思う。
「あなたはいったい何を悩んでいるの? 悩み苦しむのは、それが〈恋〉だからなのよ。
 〈愛〉とは、ただひたすらに注ぐもの。だから、何も求めないし、何も悩むことはない。
 〈恋〉に苦しむのもいいけれど、それよりも、〈真実の愛〉を探すことを忘れてはダメよ」
そう言ってあげたいときがある。こんなわたしの言葉など聞く者はいないだろうけど…。

〈愛〉は成就する必要などない。ただ〈愛する〉だけで完結してる。見返りなどいらない。
だから、たとえ相手が愛してくれなかったとしても、問題じゃないわ。
ただひたすらに、愛していればよいだけのこと。
そうよ、もし相手と永久に会えなくなったとしても、哀しむことなんてないの。
変わらずに、ずっとずっとずっと愛し続ければよいだけのこと。
それが、〈愛〉。そうよね、あなた‥?

そんなことを考えているうちに、少しおなかが減ってきてしまった。
そろそろ、バーニィの店に寄って帰る時間だわ。
わたしたちは公園を後にした。

b0030720_3463821.gif

店にバーニィはいなくて、店番をしていたのは娘のティミーだった。
離婚してから、男手1つで娘を育てているバー二ィ。立派なものだわね。
それに、ティミーときたら、本当にまっすぐないい子に育っている。
だから、お父さんの手伝いだって、よろこんで引き受ける。
「ティミー、元気、だった?」
わたしがそう訊ねると、ティミーは笑顔でうなずいた。
「うん、元気だよ。リディアも元気そうね」
それからティミーは、ピッキーにも声をかけた。
「ピッキー、こんにちは」
「こんにちは」と、ピッキーも返事をした。

わたしは店内を見渡しながら、おやつには何を食べようかな?…と考えていた。
ピッキーはわたし以上に空腹なのか、ずっと豆の入った袋を眺めている。

そのとき、店の電話が鳴り出した。
ティミーが小さな手で受話器を取る。
「え!?」  ティミーの表情が明らかに変わった。
そして、彼女の瞳からは涙がこぼれて落ちた。
わたしはどうしていいか判らなかった。
ピッキーも、心配そうな表情で見つめている。
「そんな~、お父さん、どうしても明日まで帰って来れないの‥?」

そういうことか。何があったかは知らないが、あのバー二ィが娘の顔を見ずにすごす
なんて、よっぽどの事情にちがいない。
ティミーだって、とても淋しいだろう。
わたしは、我が家の夕食にティミーを招待してあげるべきだと思いついた。
我ながら、すばらしいアイデアだわ。
そこで、ティミーからすばやく受話器を取り上げた。

爪で挟むようにして飛び、ピッキーの目の前で、受話器を揺すってみせる。
「ティミー、ごはん、一緒」
わたしがそういうと、ピッキーはようやく察して、受話器を手にした。
バーニィに、娘さんを今晩うちで預かりたい…と説明し始めた。
「ティミー、ごはん、一緒」
わたしがもう一度言うと、ティミーは涙をぬぐって微笑んだ。

ピッキーは、お得意のロールキャベツを作ることに決めたらしい。
鼻歌を唄いながら、材料を選び始めた。

本当はバーニィに食べさせたいだろうけど、まずはティミーからでもいいでしょ?
わたしの心の友達は、とってもいい人だけど、恋愛に奥手なのが心配なのよ。
もっとうまく人間の言葉が話せたら、きみにも〈愛〉について教えてあげたいな。
そう思いながら、わたしはピッキーの肩に止まった。
1人と1羽の生活に、もう2人増えるのも悪くないかもね?…なんて思いながら。

b0030720_3472560.gif


[PR]
by seikiabe | 2004-12-30 04:06 | ショートショート | Comments(31)
天音(あまおと)
天音(あまおと)


 17才にもなって自転車にも乗れないなんてかっこ悪いかな? 

 髪はくせっ毛で背は低い。勉強やスポーツは得意じゃないしギターも弾けない。
 しかも自転車にすら乗れないんだからさ。最低だよね?

 友達はみんなバイクに乗って学校に通ったり女の子と海までドライブしたりしてる。
 僕はこのままでいいんだろうか?

 風の強い屋上で本を読んだり夕暮れの公園で犬や子供たちと遊ぶのは最高さ。
 だけど好きな娘と手をつないで歩くのだって、すごく素敵かもしれない。
 そう思わない?

 だから自分をちょっとずつでも変えていくことに決めたんだ。 
 そのための第一歩。

 ガソリンの臭いやエンジンの爆音なんかにはどうやっても耐えられそうにないし、
 せめて自転車に乗る練習を始めることにしたんだよ。
 誰かに見られたら恥ずかしいから、夜の公園でね。

 そこで彼女に出逢ったんだ。

 冬の澄みきった夜空の下。
 僕は2時間くらいかけて膝とか自尊心に擦り傷をつくった後、すべり台に寝そべり
 月を見ていたんだ。まっぷたつに割れて綺麗な半月だったよ。

 そしたらどこからか優しい音色が聞こえてきたんだ。
 星の光を集めて溶かしたみたいに儚げなメロディー。
 心が揉み解されていくような体が宙に浮かび上がっちゃうような、ちょっと不思議で
 とっても懐かしい感じの調べだった。

  その音に包まれて漂っていたのはどれくらいだったろう?

 やがて笛の響きも止んで静寂と重力が戻ってくる。
 冴えた月がうっすら滲んで見えた。
 僕は、たった今この場所に産まれ堕ちたんだ。
 瞬時にそう確信し、全ての疑問が解ける。 

 ずっと動けないまま、月だけを眺めていた。

「あなた‥‥泣いてるの?」
 その声は笛の音よりもっと澄んでいた。もし月が言葉を発したらこんな風?
「とっても哀しいことがあったのね?」

 僕はゆっくり首を振る。
「‥‥うれしいんだよ。とびっきり素敵なことがあったんだ」
「うれしいこと? ねえ教えて、何があったの?」

「やっと産まれたんだよ……。僕は今ここでね」
「……そうなの。おめでとう!」
 そう言って微笑んだのは、少年のように美しい少女だった。
 その髪が夜に輝いて靡く。

「ねえ、この世界はどう?」
「ああ、悪くないね。柔らかで甘くて暖かい波に溺れてる気分さ。
それに月も眩しい」

 少女はミナと名乗り、そのオカリナは愛した犬の骨から造ったと教えてくれた。

「月光みたいに綺麗な音色だね。また聴きにきてもいいかな?」
 ミナは笑顔でうなずいた。

 だから僕は今夜もこうしてブランコを揺らすんだ。
 月の妖精の奏でる調べを聴きながら。
 
 ……まだ自転車には乗れないんだけどね。


"moonligt singing"

[PR]
by seikiabe | 2004-12-21 22:14 | ショートショート | Comments(12)
自由人
b0030720_10343347.jpg


 
  ……この部屋では、時が停まっている。フィオ・スレイバーには、それは真実だと思える。
ありふれたアパートメントの一室。その玄関に入った途端に独特の空気感に包まれるのは、
ここの住人が社会や常識といったものから隔絶した感覚で生きているからなのであろうか。
 フィオは、久しぶりに訪ねたこの場所が変わらぬ固有の雰囲気を保っていたことに安堵し、
小さな感動を覚えていた。やはり自分はこの空間に安らぎに似た感情を抱かされてしまう。
  そして、ここに住む旧友のことを心の何処かで必要としていたのだ、とも自覚させられる。
「遅いな、フィオ。何をやっていた?」
 思わず時計を確かめる。約束の時刻よりもまだ15分ほど早い。
〈フフ‥‥相変わらずだな〉
 約1年ぶりの突然の電話に、仕事を無理に切り上げてまで律義にやってきた自分自身も、
それなのにまるで1時間も遅刻してきたかの様に責める相手の身勝手さも妙に可笑しくて、
フィオは軽く微笑みながらネクタイを緩めた。
  殺風景な部屋の片隅に座った《ギアス・マードル》の顔は、やはり1年前のままである。
というよりもこの男は、容姿から考え方までハイスクール時代からまるで変化がないのだ。
 揺るぎない意志の力を示す強い眼差し。激しすぎる精神を閉じ込める引き締まった肉体。
自信と情熱と野望に充ち溢れた男がそこにいた。放射されるオーラすら目に視えるようだ。
 フィオもこの部屋で過ごした時間の分だけは他の人間より若いという自負はあるのだが、
ここの住人にはかなうはずもない。肉体年齢は精神のそれに左右される、〈自由人〉とは
誰にも何にも縛られない。法はもちろん、時の流れにすら俺は束縛されないと奴は言った。
そもそも時間とは、完全に〈主観的存在〉なのだとも。
  卒業を前にしたある日、ギアスはみんなの前で自分は〈革命家〉になるのだと宣言した。
だがそれを聞いた者は嘲笑に近い笑みを浮かべた。なるほどな、と1人がフィオに呟いた。
やはり〈変人〉は違うな、そんなニュアンスである。まったく勉強などはしないし授業さえも
聞かないくせに常にトップの成績を維持し続けていたギアスであったが、エキセントリック
な言動からまさに〈紙一重〉だという評価を得てもいた。
「フィオ、もし俺に友人がいるとしたら、それは君だけだ」…そう告白され、フィオは戸惑った
ものである。成績や運動も平均並で特技の1つすらない自分などに、何故この個性溢れる
天才が心を開いたのか解らない。「君は実にユニークな存在だ」という言葉も納得いかず、
おまえには言われたくないッと思った。彼の暴言や奇行の数々は枚挙に暇がないほどで、
なぜギアスと友人でいられるのか誰からも不思議がられていた。
  やたらと喜怒哀楽の激しい性格で、とりわけ〈怒り〉の感情を常に周囲へと発散する男。
いつも誰彼となく議論を吹きかけ、そして独善的な論理で相手を打ち砕き、それでもなお
悔しそうな顔つきのまま去って、そしてまた次の獲物を発見しては噛みつく日々。
  彼の革命とは、地球上から全ての〈国家〉や〈民族〉や〈宗教〉という概念を根絶すること
にあるらしい。「〈神〉に祈る奴らは全員、〈地獄〉に堕ちろ!」と、ギアスはよく吼えていた。
  たとえどんな宗教であれ、誰かが造ったものである。つまり、既存の宗教を信じるのは、
自ら〈真理〉を追究せずに、思考を停止し、他人の思想や理念を模倣して生きることである。
己の頭で考えることを止めた者は、〈愛〉や〈正義〉の名の下にて〈異教徒〉を殺戮すること
すら善とする。したがって〈宗教〉がある限り〈平和〉など永久に訪れない…ということらしい。
  フィオには親友の主張は到底理解できないが、彼の目を見てその言葉を耳にしていると、
こいつには〈世界を変える力〉があるかもしれない、そんな風に思えてしかたないのだった。


"the freeman"




え~、近頃のうちのblogの傾向からは明らかに浮いていますが、音羽さんinablinkさんの作品に刺激を受けて、こんな感じのもアップしてしまいました。〈自分を信じ抜く強さ〉、欲しいものですね。
[PR]
by seikiabe | 2004-11-17 12:00 | ショートショート | Comments(28)